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「BOY MEETS GIRL」DJ、sekineの徒然日記。思うまま雑感。
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私たちの住む世界
次回のBMGフリーペーパー「カイエ」用に書いた原稿だったのですが、時節柄、フライングしてこちらに掲載しようと思います。

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2011.3.11、あの日の地震を境に、すべてが変わってしまった。今これを読んでいる方々もそうだろう。
私自身、地震直後の2週間ほどは気がふさがって致し方なかった。
「自粛するな、経済を回すために被災地以外では日常の生活を送るように」と誰かの放つ掛け声が私にとっては空々しく響いた。では、自粛ではなく、そもそもそういった楽観的メンタリティーを持てない人々はどうしたらよいのだろう? ストレスを感じながらそういうものへ参加しろと言うのだろうか? 少なくとも私はその2週間というもの、DJイヴェントにも行きたくないし、野球など見たくもないし、TVのヴァラエティー番組も見たくはなかった。死者を悼み、今静かに起きていること、起きてしまったことに耳を澄ませることが何よりも重要だった。そう思っていた。いや、そう思うと言うより、身体反応的に自分にはそれしかできなかった。4月のBMGも、ぎりぎりまで催行を悩んでいた。

その間にも原発の動向は逐一チェックしていた。TVで流される統制されたいい加減な情報と、ネットで嫌と言うほど見られる核心的な情報の数々をザッピングし続けた。そう時を置かずして、世論は反原発へ向かうのかと思いきや、舌の根も乾かぬうちに「原発をなくすなんてナンセンス、いったい代替エネルギーはどうするのか?」などといった、いわゆる原発派のタレント文筆家や論客総出演のTV番組が放映されたりもした。いわゆる3月26日の「朝生」だが、極左のTV朝日にしてあのようなメンツしか集められなかったのだから、背後にある圧力の大きさたるや相当なものと推測された。また、ここぞとばかりに民主党の対応のみを厳しく叩くネット系の方々にも心底辟易した。それをいうならば同時に、50年以上にわたり、原発を導入し保安に力を注入せずこのような原発村利潤システムを温存してきた読売~経団連~自民党をこそ、声高らかに批判するべきではないのか。
もうすぐ行われる統一地方選では、まさにそういったことを皆様に反映して戴きたい。ここでの投票は、まさに日本人の民意が問われることになる。結果次第では、いうまでもなく国政、政界大再編へと派生して行くことだろう。都知事選の行方は特に重要だ。

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現在、時間がとれれば、反原発的な行動を行うのが日常化しつつある。
ソフトロックやAORやブラジリアンを聴きながら、あるいは封切りになった映画の話をしながら反原発デモに向かう電車に乗ったり、放射能について日常茶飯に語ったりすることを否応なく受け入れなければならない世界に我々はいる。

そんな時、私が思い出すのはあの小沢健二が行っていた諸々の活動のことだ。
『うさぎ!』とか『おばさんたちが案内する未来の世界』などに描かれていた内容に、痛みと憤りと賞賛と高揚を見出していた人たちは、今、日本で起こっていることにも同様、いや、それ以上の感慨を抱いていて当然のはず。
「そのはず」なのだが、悲しいかな、そういった現象は見られていない。ネットで声を上げているところも見なければ、デモの現場で彼らを見かけることもない。なぜ、そんなに大人しくしていられるのか。
私は、小沢健二がああいったオルタ・グローバリズム活動や13年ぶりの復活ライヴ「ひふみよ」を行うことで聴衆にセラピー的な満足を与えてしまい、「然るべき時」にも関わらず「評論と傍観に留まる」人間を増産してしまうのではないかと危惧する者のひとりだったのだが、この問題は果たしてどう帰結したのだろうか? 地域で草の根運動をしているのなら、それはそれでもいいのだが。

が、そもそも小沢健二自身が、今こそ自らの祖国・日本に帰ってきて、この窮状をレポートしたり、原発権益を批判したりするべきなのではないだろうか。
他国で起こった革命やデモやグローバル企業を告発するのにご執心なのは結構だが、私は今日現在、小沢健二が反原発デモに参加してメガフォンをもったり、エリザベス・コールがヴィデオカメラを回している姿を見ていないし、そういった活動をしている様子は伺えない。ひふみよネットに掲載されたニューヨークからのメッセージを読んでいると、どこか遠い国の出来事を童話化(?)した『うさぎ!』を読んだときに私が感じた違和感を思い出したりもした。対岸の火事。不思議なことだが、そんな匂いがしたものだ。
昨今の日本に巣くっている病。それは、今、確実に「自分の身の上に起こっていること」を自分の身に引き寄せて考えることができない、というものだ。私は小沢健二もそのひとりだと思っている。本当に何かを変えたいと思っているのなら、今、この時に、彼は日本に帰ってくるべきなのだ。

が、彼のことは、もうよい。
私は結局のところ彼のやっていた音楽のみが好きだっただけだからだ。


今、この青空に放射能が降り注ぐ世界で、あなたはもしや、自分がそこに参加しなくてもいずれ原発はなくなるだろうと思ってはいないか? 誰かがそれを実行してくれるだろうと思ってはいまいか? そう思っている方がいる限り、あの50基以上の原発は永遠になくなりはしない。この問題に関してシニカルなだけの論評は、もう必要ない。反対運動を行うこと。それをくどいくらいに唱え続けること。遠く離れたドイツではこの日本の原発問題で25万人がデモを行った。日本では今のところ最大で300人程度。この差は何なのだろう。

さて、今後は今よりずっと照明と空調が少なくなった世界で、このことを語ろうと思う。

関根敏也
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